時代はビデ-JAPAN made

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ビデの始まり.jpg
 アメリカ人もフランス人も、ウォシュレットとは言わない。ウォシュレットは「ビデ」だから。
 日本人は実に寛大で「ウォシュレット」という。昔のNHKはすごく神経質で商品名にかかわるものは、絶対に放送しなかったが、近頃は平気で庶民の台所や茶の間をうつしだしている。
 中国コロナのお蔭でその「ビデ」が世界中で人気を集め、売れているという。
 ビデの始まりはフランスだった。17世紀にフランスの家具やが、貴族の要望に応えて仔馬の形のビテ゜を創った。ビデという言葉はフランス語で仔馬のことだが、今もそのまま名前は継承されている。女性のデリケートゾーンを清潔に保つためのものだったが、次第に上下水道の完備とともに、ビデは寝室からでて、シャワーやトイレと並んで化粧室に置かれるようになった。
 その「ビデ」が日本人の手により画期的なウォシュレットに生まれ変わったのだ。21世紀の日本製ビデはヨーロッパでもアメリカでも圧倒的人気を呼んでいるのだが、庶民には値段が高くてなかなか手が出ない。そこでつい韓国製のビデを買うのだが、このシャワートイレの性能が著しく悪い。お湯の温度は安定しないし、水流も痛い程きつかったり、ゆるかったりと評判がいまひとつ、安かろう悪かろうが韓国製シャワートイレなのだ。
 いまアメリカでも、ヨーロッパでも、日本製ウォシュレットが爆発的に売れ、前年比180%の売り上げ増だという。いままで水回り関係の工務店やら建築資材店を代理店にしていたのを、一気にアマゾンやコストコに置くようにしたのも手伝い、とにかく「いま 時代はビデ!JAPAN-made」というところまできたようだ。
   


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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