ウディ・アレンを失ったアメリカ映画界

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 2017年に始まった#Me Too運動によって、アメリカは大きな文化を失った。
 20世紀から21世紀にかけてハリウッド最大の映画作家ウディ・アレンを追放してしまったのだ。アメリカの大衆運動はときにこうした自分たちの文化を貶めて、歴史的遺産を失なう。人間にたいする考察力がもう少し深ければ、起こりえない過ちを犯すのがアメリカなのだ。
 戦後まもなくチャップリンをアメリカから追放したのも、文明批評と共産主義運動をゴッチャにした思考力の浅さだった。#Me Too運動という性的差別への運動が、失ってはいけない映画文化の核心まで摘み取ってしまった。ことの是非善悪はここでは論じないが、ファクトとして残ったのはウディ・アレンという偉大な映画作家を消し去ってしまったという事だ。
 ウディ・アレンの作品受賞歴を見れば、いま世界にどれだけの映画祭があるか判るとさえ言われている。カンヌ、ボストン、ヴェネチア、ロンドン、ベルリン、サンセバスチァン、ニューヨーク、ロスアンゼルス、の映画祭を始め、オーヘンリー賞、ゴヤ賞、セザール賞、アカデミー賞など数え上げたらきりがない。
 アカデミー賞に限っても24回ノミネートされ、4回受賞をかさねている。 彼の人間に対する洞察力と認識は、すべての文学を超えた存在だと評価した批評家もいた。もし彼がフランスにいたら、こんなことにはならなかったことだろう。シモーヌ・ド・ボーヴォアール橋の向こうに「ウディ・アレン橋」が出来ていたかもしれない。
 ウディ・アレンの愛と死、カイロの紫のバラ、アニーホール、夫たち妻たち、地球は女で回っている、それでも恋するバロセロナ、ぼくの副作用、ウディ・アレンの重罪と軽罪、ミッドナイト・イン・パリ、ただひたすらのアナーキー、ウディ・アレンの浮気を終わらせる3つの方法、……
 彼は作品を通じて人間を訴え続けていたが、結局ハリウッドには判って貰えなかったということだろう。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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