テレビに気象予報士という人々が登場するようになって、梅雨を楽しむということが無くなったような気がする。
少年期、菜種梅雨から五月雨もすぎ、梅雨を迎えるころには、「雨ふりお月さん」とか、「城ヶ島の雨」など口ずさんでいた。利休鼠の雨ってどんな雨だろうとか、雨は真珠か夜明けの霧か、それともわたしの忍び泣き と歌詞は暗記していても意味は判らずに歌っていた。
少しものごころがついてくると、雨がふります 雨がふる といった繰り返しが心にひびくようになった。
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を三越劇場で上演したときは、繰り返し雨と闘う賢治のすがたを、いまは演出家になっている佐藤信君が演じてくれた。 「雨雨ふれふれ」の歌に合わせて玉人形で名作コマーシャルをつくった水田外史もあの世へ旅立ってしまった。
初めてのラスベガスの舞台で、ジーンケリーの踊りながらの「雨に唄えば」を見て、アメリカ人は雨がこんなに楽しいんだと認識した。舞台上に本物の雨が充分に降る仕掛けにも驚かされた。
パリのロマン派美術館へ行くと、二階の片隅にショパンとジョルジュ・サンドの腕の彫像がある。二人の地中海マヨルカ島への恋の逃避行、冷たい修道院のピアノに向かって病弱のショパンが創った「雨だれのプレリュード」、雨だれのピアノの描写に孤独と絶望が聴こえてくる。そんな雨に目覚めたのはだいぶたつてからのことだった。
近頃は雨といえば、反射的にテレビの気象予報図が浮かぶ。前線がくるの、停滞するのと、雨も随分つまらなくなった。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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