「引き際の美学」という言葉がある。
昭和の大女優に原節子がいた。彼女は小津安二郎監督に心酔していた。「晩春」「麦秋」「東京物語」「小早川家の秋」と小津作品には必ず彼女がいた。小津監督の目線のひくい日本人の生活環境にねざした演出技法には、彼女の控え目で凛とした個性が必要だった。その小津監督の死とともに、原節子は無言のまま表舞台から姿を消した。引き際の見事さではほかに例をみない。
ミーイズムの普遍化から、社会全体、仲間たちへの認識が著しく後退した。スポーツの世界がとくに顕著だ。
かっての柔道の谷亮子、スケートの浅田真央、体操の内村航平など、後輩たちの道をふみつぶして生き残ってきた。頂点を極めたのだから、次の世代のために道を譲るとか、これからは後進を育てる方にまわる、といった倫理がないのだ。こうしたミーイズムの跋扈を煽ってきたのが、哲学のないメディアであるし、スポーツを商売に転嫁してきた代理店や芸能プロダクションである。
少し姿カタチの良いアスリートがでてくると、芸能プロと代理店が暗躍してタレント化を図る。契約金をささやき、CMをちらつかせて物欲の世界にひっぱりこむのだ。
栃錦が横綱に昇進した夜、師匠の春日野親方(元横綱栃木山)に呼ばれ部屋へいくと、師匠は部屋の真ん中に背なかを向けて座っていて、振り向きもせず「今日からは辞めることを考えて過ごせ、桜の花の散るごとく……」と一言。のちに桜の花の散るごとく引退した栃錦は、相撲協会理事長まで登りつめたのだ。 横綱の地位に連綿とこだわり続ける白鵬にきかせても、やっぱり無駄なのかもしれない。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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