会食・外食・飽食の戒め

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 「なるべく飲食は控えていただきたい。」「とくにアルコールを含む飲食は絶対に控えていただきたい。」
 小池都知事はしたり顔に言い放つが、若者たちはならばと、コンビニの駐車場で、缶ビールや缶焼酎で団らんの時を開いている。
 マスクをして静かにメシを喰え、といわれても口にほうばる時はマスクを外さなければ生きていけない。
 ついこの間までは「サンミツ」を避けろと散々いわれてきたが、どうやら最近は「サンショク」を避けろといわれているような気がする。
 五木寛之氏は「会食、外食、えーっともう一つは食のつく言葉を考えていたら、好色」という言葉が頭にうかんだと 書いている。冗談だが、三つ目の食は「飽食」ではないか。息苦しい世になったものだ、とまとめている。
 知事はなんの対策も立てずに、一年猶予を過ごし、皆さんの行動こそがコロナの原因であるから、自覚して生きよ、と宣言している。外国からの汚染人を自由に入れておいて、村から一歩も出ていない日本人に責任を転嫁している。
 変な芸人とコマーシャルを流す金があったら、重症者のためのベッドに注ぎこんだ方が余程人助けになる。一年前には、アメリカのCDCセンターのようなものを作り、コロナ対策を進めるといっていたが、その気配は全く伺えない。 要はアノヒトはウソツキなのだ。
 「今度メシでも食おうか」というのが挨拶代わりだった時代があった。
 メシは付けたりで話をしよう、ゆっくりと意見交換をしようという意味だった。
 安倍公房に脚本を書いて欲しくて足を運んでいた時、「よし判った。明日バーヴェキュウをするので、メシを食べに来て欲しい」と言われた時の喜びは今も忘れられない。共に飲食をするというのは、心を許してくれた、というシルシだった。
 
 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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