タレント、モデル、歌手、芸人などを育成する養成所、各種学校は多々あったが、公認の高等学校はなかった。
がここへ来て吉本興行高等学院、渡辺高等学院など正式の高校卒業資格のとれる高校が話題になっている。これまでの芸能界御用達の高校といえば、堀越高校や日出高校(現・目黒日大高校)などが定番だったが、肥大化した芸能プロが高等学校経営に乗り出した。
コロナ禍のお蔭でエンタメ不況に追い込まれた苦肉の策ともとれるが、業界内ではもっぱら「高校授業料無償化」への地ならしだという声がある。高校無償化は意外なところに狙いはあった。
公認の高等学校であれば、お国の助成金がたっぷりでる。 つまり下品な芸人も、なにを唄っているか判らない歌い手も、冷蔵庫から顔がでる第八世代も、すべて国民の税金で育てるという珍奇な社会になる。
いずれもが、芸能実習は対面式でやるが、一般教養はすべてオンラインでやるというコロナ方式なのだ。
芸能実習だけの教室であれば、キャンパスをつくらなくとも既設の教室で間に合う。高校時代の人格形成にとってキャンパスに於ける対面教育の重要性がまったく無視され、採算本位の学校経営がもちこまれている。
せめて高校だけは出なさい、と道楽息子に言い続けてきた親たちに対しても、高校資格がとれるという言訳が成立する。M1息子やサカミチ娘たちにとって、こんなに都合のいい学校はないのだ。
売れ残りの芸人や、ライブハウスに縁のないロック野郎が先生であれば、地方の子弟は憧れのタレント先生と錯覚する。そのうえで「コントの作り方」や「セルフ・プロデュース術」を学び、歴史や倫理はオンラインで勝手にどうぞ、これではどんな人格の若者が排出されるか、だいたいの想像はつく。
戦後、本物の役者を育てよう、個性的な音楽家を生み出そう、と本格的な学校教育をめざして桐朋学園を創ったように、その場かぎりの金儲けではないエンタメ・カレッジを創って欲しい。、
高校運営に手を出した芸能プロ
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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