小室圭さんが28枚50000字に及ぶ言訳文を発表した。
50000字分の言訳をするなら、母親が受けていた男性からの援助について、「自分の学校や留学のための資金だったのだから、自分が働いて返す」と発言したほうが余程いさぎよく、若者らしいと国民感情も好転したとおもわれるが、そうした当たり前の人間のモラルをもっていないのがいかにも小室圭らしく、それでも惚れている眞子さまがますます愚かな女に見えてしまうのが、この事件の困ったところである。
副作用として皇室への不信感につながるというのが、この事件の厄介なところでもある。
奈良朝時代の一大スキャンダルである称徳女帝と道鏡の狂恋のすえ、危うく天皇乗っ取りの一歩手前までいったという皇室のスキャンダルを想起させるという側面ももっている。
日本人にとっての皇室の存在は、民族の支柱であり、倫理の中心点でもある。そこにキリスト教的な自由論で将来の天皇になるかもしれない姉の結婚が持ち上がっては、あの戦争の被害を引き換えに皇室の存在を守ってきた日本人にとってあまりにも悲しい。
そんなところにも小室圭韓国人説まで飛び交うようになってしまうのだ。
週刊誌も最後には、相次ぐ小室近親者の自殺事件を取り上げると噂されているし、母親の婚約者金銭の受取り案件は、夫の遺族年金の詐取に繋がると伝わっている。そうした事実は100枚の言訳文をかいても消すことは出来ないだろう。
往生際のわるいこの二人は、昔なら佐渡に流せばよかったが、今ではそうもいかず、ハワイあたりの離島にお移りいただくのが、いちばんの解決策かもしれない。
28枚50000字の言訳レター
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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