民放各局が春の改変期を迎えた。
世間では「地上波の時代は終わった」と言われ見放している向きも多いが、一時でも同じ釜の飯をくった仲間として各局何を考え、何をどう変えていくのか、そんな動向をのぞいてみた。
司会者の話題では、22年続いていたフジの小倉智明がやっと司会の座を降りることになった。10年遅かったというべきか。
不調のTBSでは、落語家の立川志らくが降板し、麒麟の川島明に変わる。情報ショウに起用されるキャストが何故お笑いなのか、そこが先ず判らない。
TBSに限ったことではないが、プロデューサー達がまず芸人に人を求めるという点が、世間と解離している。
ニュースについて伝えるだけならともかく、今は皆考える方向に関心がある。情報を考える時、すこしでも専門的な発言を期待しているのだが、それに答えるには女子アナや芸人では役不足、そこに気がつかないプロデューサーが多すぎる。
謝罪ばかり追い求めて提案のない野党や、パフォーマンスに走る女性政治家、揚げ足とり専門のジャーナリストに、一般人は辟易としている。
そこに「虎ノ門ニュース」など、ネットニュースの存在価値がある。 スピーカーが皆専門家なのだ。
お笑いのついでや、少しばかり美人の女子アナは登場しない。皆手元に集めた情報や取材した海外の情報をベースに責任のある解説や議論を提供しているし、ユーザーはいつでも視たいときに見れるという利点もある。
地上波各局はあいも変わらず情報ショウのコンセプトに「日本の朝をもっと楽しく」「朝の食卓に会話の花が咲くように」「お金をかけなくとも今の暮らしが10倍楽しくなる」コンセプトの甘さに呆れる。
「ニュースの真実に迫る」「ニュースの今を切る」そんな迫力に充ちたコンセプトは何処をさがしても見当たらない。
責任はプロデューサーなのか。それとも経営者なのか、……ぼやぼやしていると「視聴者」は消えてしまう。
視聴者が消えていく
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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