森会長バッシングをキッカケに芸能人の聖火ランナーが続々と辞退している。
「走るだけ損だよ」という声が楽屋を駆け巡っているとか。
初めから損得勘定で参加していたとは、いくらオリンピックとはいえ、見下げた根性である。
あわよくば人気復活を狙ったか、CM獲得の伏線だったか、それとも田舎で郷土愛を発揮したかったのか、本人の真意はわからないが、トーチをもって200メートル走っただけで見返りを期待するほうが可笑しい。
田村淳、常盤貴子、五木ひろし、窪田正孝、黒木瞳、玉木ディナ、TOKIO、斎藤工、渡辺徹、藤井聡太、沢穂希 等々 マネージャか本人が思案のすえ、オリンピック聖火リレーを辞退した芸能人である。そもそも自分の走りたい地域とスケジュールを調整したうえで大会組織委員会に申し込んでいるので、ここに及んで辞退はオカシイ。
オリンピックへの熱がこんなにさがるとは想像もつかなかったのだろう。コロナのこと、変異種のこと、次々と問題がおこってこその政治家なのだが、近視眼的な彼らにもこの事態はスケジュールのそと、香港もウイグルも尖閣問題ももてあまし、結局コロナ真っ最中の聖火ランナーとなってしまった。芸能人と商人には哲学はなく、あるのは算盤だけという実態がわかってよかったのかもしれない。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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