江戸時代には絵草子屋が中心になって、疫病退散のアマビエ様が市中に氾濫した。
令和の今では、アマビエ酒、アマビエチャーム、アマビエ人形、アマビエ鉛筆、京都聖護院の「アマビエ八つ橋」と百花繚乱だが、このブームもワクチン上陸とともにまもなく終焉を迎えることだろう。
「私は海中に住むアマビエと申すもの、今から6年間は豊作が続くが、病も流行る。早々に私の姿を書き写して人々に見せよ」といって海中に姿を消した。長髪にクチバシ、体中にウロコ、3本の足という異形であった。1846年弘化3年4月のこと。
安政5年のコロリ流行時、明治15年の疫病流行時、そして令和3年の今、肥後熊本の海に夜な夜な現れた珍種の妖怪が助け人として世の中に登場している。
学問的には「予言獣」というジャンルに入るようだが、科学で解決できない現実にたいし、庶民がひたすら書き写すことによってご利益を得ようとする態度はヤマト民族独特の習俗のようだ。 コピーという単純な便利グッズだけではなく、いまでは3Dプリンターなどというスゴグッズまであるのだから、東急ハンズにアマビエ・コーナーが登場しても不思議ではない。
小池百合子がコロナ重症者を増やしたり、ワクチンの冷凍庫が冷えなかったり、銀座清月堂の春のアマビエ様がとても美味しい等と、ミソクソ一緒のメディア時代に、庶民はアマビエ様の原点に回帰して、祈ることが一番の防衛策なのかもしれない。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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