「女は話が長い」うっかり軽口をたたいたら五輪憲章違反といっせいに反対運動。
「女は化粧が長い」この場合はナニ違反?憲法違反かな?
話が長いと、何故五輪憲章違反になるのか良くわからない。
多数でしゃべると、ソーシャル・ディスタンスが保てないから、二人でしゃべったら「透明性」がない。
「透明性」を保つため、まず候補者の選定委員会をつくり、しかるのちに理事会にかけて次期会長を決めます。
会長職は「能力」より「透明性」が重要で、国民に喜んでいただける女性がいちばんです。
内容より外形が大切な「ミス・オリンピック・コンテスト」のようでもあります。
物言えば唇寒し秋の風………
肺癌の身で海外出張しIOCとの折衝につくし、主催都市おんな知事さんのスタンドプレイを抑制し、政界財界とのコネクションに身を挺してきた会長へのねぎらいもなく、功績も語らないまま斬り捨てるスポーツ、五輪関係者には言葉を失う。スポーツの世界とはこんなにも薄情なものなのか。
五輪憲章とはこんなに人間味のない空疎なものだったのか。あらためて「東京オリンピックはいらない」と思った。
思い出したのは、昭和の初め岸田國士や山中貞夫によって描かれた「人情紙風船」である。
人情紙風船
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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