初春芝居の菊五郎劇団

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 初春狂言のお楽しみは、国立劇場の菊五郎劇団に限る。
 女郎屋の床の間に飾れしは「アマビエ様」、ソーシャル・ディスタンスのお酌は長い棒の先についた湯桶から、興が乗って踊りだしたらNiziUの縄跳びダンス、とお約束の遊び満載、Uberイーツのピザ配達まで飛び出して、冷え切った正月を沸かせてくれた。「四天王御江戸鏑」。
 本科にもどれば文化12年からのお土砂、音羽屋のお家芸土蜘蛛の糸が舞い、なんとも文化文政の歌舞伎の楽しさを満喫させてくれた。
 渡辺綱と鳶頭の綱五郎を演じ分ける菊五郎さん、女郎花咲と土蜘蛛の精の菊之助さん、茨木婆の時蔵、近頃貫禄のでてきた團蔵、洒脱な味の秀調さん等、菊五郎劇団の面々も手慣れた正月狂言だった。
 コロナのお蔭で客席は一人置き、ロビーの獅子舞もなく、恒例フィナーレの手拭投げもなかった。威勢のいい掛け声もきかれず、正月の芝居見物として拍子抜けはまぬがれなかった。芝居小屋はお客様がいっぱいはいってこその劇場、一人置きのソーシャルディスタンスとは、まったく相いれない。
 役者衆もさぞかしやりにくかったことであろう。いっこくも早い正常な社会への回帰がまたれる。
 世間ではコロナ以前とコロナ以後と無責任なことをいっているが、悪病は何時の時代もあったもの、それを乗り越え時を超えて生きてきたのが
劇場文化なのだから、困難の時を生かし、新しい狂言の工夫をして生き抜いて欲しいものである。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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