江戸っ子の薬味五種

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 師走になると、泥のついた一本ネギがどっさりと届く。
 江戸幕府がひらかれた頃、大坂から葛飾にきた千住ネギの特別種と伝えられ、いまでは葛西の新宿(ニイジュク)で栽培されている貴重なネギである。 江戸っ子の食卓には、ネギはかかせないものだった。江戸前の肴の煮付けには必ずひかえていたし、刻んだネギと新そばの相性は抜群だ。
 ビルの街のイメージの東京だが、コンクリートの谷間に土がある。その土を相手に昔野菜をこつこつとつくっている農民がいる。
 何年かまえこうしたレトロな野菜に「江戸東京野菜」と名ずけ伝承していこうという気運が持ち上がった。
 いただくネギの名前は「新宿ねぎ」なので、いまどきの仲間には、いちいち新宿とはいえかの歌舞伎町のある新宿とは違う新宿です、と断らなければならないが、新宿つながりの江戸野菜には格別華やかなものがあった。「内藤トウガラシ」
 内藤新宿といわれ高遠の殿様の屋敷のあった新宿だが、いまの新宿御苑あたりから大久保方面にかけて、一面トウガラシ畑だったといわれている。秋になるとトウガラシの実が真っ赤につけて、見渡す限り赤い畑の奇観だったといわれている。薬研堀七色唐辛子の口上に、内藤新宿八房の焼き唐辛子とある。
 ネギ、トウガラシと来れば、ショウガがないとしょうがない。上野の山奥でちゃんと栽培されていた。「谷中ショーガ」である。谷中は水に恵まれ、水捌けもよく西陽を嫌うショーガにとって最適の場だった、別名「盆ショウガ」とも呼ばれて、夏の食欲不振を克服するのに使われ、冬の風邪治療にもショウガ湯が活躍した。
 江戸っ子の薬味はあとふたつ。早稲田に勝手放題に顔を出していた「早稲田ミョウガ」と、そして「奥多摩ワサビ」で顔見世は完了する。
 今風には香味野菜だが江戸っ子にとっては、新宿葱、内藤唐辛子、谷中生姜、早稲田茗荷、奥多摩山葵で、食卓を笑顔が包んでいた。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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