韓式メークの困った若者たち

by

in ,

韓国式メーク.jpg 
 ちかごろ不思議なメークをした若者を見かける。
 名前はMATTとか、NOLAとか、ユースケとか、日本人をかくしたいのか、それとも異人種なのか、名前ではなにも分からないのが特徴である。
 こうしたセカンドネームは昔からあったが、おおむね夜の商売とか、花街のひとたちとか、芸能人とか、世を忍ぶ人たちが愛用してきた。
 神経過敏な個人情報マニアがやたらふえている昨今、深い事情があってNOLAだったり、MATTだったりするのかもしれない。
 自分の氏素性を隠して暮らすのは犯罪者にとって好都合だが、意味なく素性をかくすのは、それなりの誤解がついてまわるのを覚悟しなければならない。
 ツルンとした透明感、肌や毛穴のないベースメークがまず重要だという。ひとつの作品としてメークに世界観を盛るというだから恐れ入る。
 彼らのいう世界観にはなるべく近寄りたくない。真っ白けの座敷わらしが、西洋館のシャンデリアのしたにいるような気味の悪い世界が見える。
 いい歳をした男が、365日日焼け止めを塗って暮らしているという。なるべく外出はしたくない。海辺に限らず水辺も大嫌い、お肌に太陽が悪さをするから。どんな世界観かと問いたいが、アイメークだけはバッチリとする。
 韓式メークとも、韓流メークともいうらしいが、からだに美味しい次世代メークだと本人達は真面目にいっている。こうした阿呆を産まないためには、徴兵制度をひいて2年か3年、みっちりと鍛え上げないと駄目かもしれない。       


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ