テレ俳句を遊ぶ

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 梅沢冨美男と夏井先生のやりとりが面白く見ていたが、最近では少しこちら側の視点が変わってきた。
 芸能人のなかの意外な才能を発見する楽しみも、回を重ねるごとにマンネリとなり、水彩の才能などに登場するモデルの才能の意外性にこちらの視野の狭さを指摘されるような思いだ。
 テレビのもつ機能にとって文化的側面があるが、東京制作の番組が失ってしまったものがこの関西制作の「プレバト」に生きている。
 夏井組の作品に触れるなか、最近好きな俳句がいくつかあった。
“小銭なる 父の太もも 酉の市” (ラランド・サーヤ)
 父に連れられていった酉の市の思いを俳句にした、という説明だった。ジーパン姿の父に手を引かれていった酉の市、耳のそばに聞こえた小銭の音、子供ながらの体験が眼に浮かぶ。 ラランド・サーヤときいて何ものかと思った。上智大学に学び、代理店に勤めながらお笑いをやっている異色の女ときいて、お笑いへの認識が変わった。
 ”ジーンズの 聖地KOJIMAよ 冬の虹” (篠田麻里子)
 篠田麻里子といえばAKB48出身の坂道ムスメである。過剰な照明と握手会という偽善の交わりに生きてきた女性が描く景色に驚いた。児島は倉敷の南にあるジーンズの町、不況の20年をしっかりと生き抜いてきた日本の誇りである。
 もうひとつ、後輩の志らくには負けたが、円楽に好きな句があった。
 “弁慶が 時計している 村芝居” (三遊亭円楽)
 やたらに司会をしたがる円楽は好きになれないが、こうしたリアルに富んだ円楽の句は好きだ。なんとも微笑ましい村芝居の光景が浮かぶ。とかく知識をひけらかす志らくに対し、円楽の眼の円熟を感じた。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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