昭和の御用聞き

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 買物マニュアの女子アナと、生活感のない金髪青年が、朝のテレビでワイワイやっていた。
 老人社会になって「買い物弱者」が増え、大変だというのが話題の中心、そこに山間僻地の移動スーパーが登場し、これこそ買物弱者への助け舟という結論のようだった。
 昭和の頃はそんな心配はいっさい無用だった。
 日々午前中に、勝手口へいろいろな人がやってきた。
 「コンチワー、今日の御用は?」「そうねぇ、…お魚は」「身のしまったブリがはいってますが、刺身でも煮魚でもいけます」
 「コンチワー、米やでーす。」「あらお米は足りてるんじゃないかしら…」「いえ、そろそろお正月なで、お餅の御用を…お鏡の数と伸し餅を」
 お肉屋さん、豆腐屋さん、八百屋さん、師走の音が近ずくと町内の鳶のひとまで門松やお飾りの数をたしかめに勝手口へきた。
 子供心に勝手口というのはそうした御用聞きの人達のためにあるものとおもっていた。
 時が進んで、あらゆるインフラが整っている筈なのに、日常生活が営めないそんな世の中になっていることが不思議だ。
 御用聞きという老人にも健常者にも優しいシステムは何処かへ消えてしまった。スマホやパソコンでは役にたたないことが沢山ある。
 目先の利益ばかりを追いかけているうちに、足元がみえなくなっているのだろう。
 昭和の御用聞きは、街の情報から季節の移ろい、冠婚葬祭いろいろな情報とともに老人の体調まで案じてくれ、ときにはお医者さんを呼びに行ってくれた多機能で心のかよった訪問者だった。買物弱者だけでなく、生活弱者にとっても、御用聞きは有難い存在だった。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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