皇室を忘れた眞子さま

by

in

秋篠真子.jpg
 秋篠宮家の長女眞子さまの「お気持ち」の文書発表を見て驚いた。
 そこには皇室の一員として生きてきた生い立ちへの認識がまったく見られない。将来天皇になられるかもしれない弟宮への責任感もない。
 平凡な一般家庭に育った娘が発した結婚願望とまったく変わらない文章がつづられていた。
 この文章を平然と発表する宮内庁は勿論のこと、こんな娘に育てた環境の無責任さには暗澹たる思いを抱くのみだ。
 自分自身が皇室という日本人全体にとってかけがえのない存在の一部だということへの意識がまったく見られないのだ。
 キリスト教というミーイズムの学校に学ばれてこんな娘になったのか、自由に本人のいいようにというよく言えば個性主義の家庭環境か、皇室学をきちんとレクチャーしてこなかった宮内庁官僚の責任かわからないが、いずれにしても「幸せな時も不幸せな時も寄り添え合えるかけがえのない存在であり、結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択です」と結婚への変わらない思いを示された、と発表にある。
 皇嗣殿下家の長女として皇室について考えが及ばないのはたいへんに不思議なことだ。国家神道の箍は敗戦とともにはずれ、宗教上の責任は免れたが、倫理的、道徳的な日本国統合の象徴として絶えずわすれてはいけない規範がある。その規範に照らして「小室圭とその母の振舞い」がふさわしくないという想いに至らないとすれば、「暗愚の姫」といわれても仕方あるまい。
 天皇の姉になるかもしれない立場に、ついてまわるのは日本人の道徳規範にあわない悪しき噂なのだ。
 GHQ司令部が画策した日本からの天皇制排除が、昭和天皇の人柄によって維持の方向にかわったにもかかわらず、半世紀たったいまこうした眞子さまの生き様によって、天皇はいらないという思いが国民の間に広がったら、この国は取り返しのつかない不幸に見舞われる。
 世界で唯一の天皇をいただく日本人の喜びは雲散霧消してしまうのだ。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ