エーゲ海の反乱

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エーゲ海に捧ぐ音楽.jpg
 白壁の家、白い教会、白い十字架、白い坂道、白いヨット、青い海、青い空、穏やかでロマンティックな情景、……
 エーゲ海のイメージである。ポールモーリアはエーゲ海を真珠に例えた。モリコーネはエーゲ海にエロティシズムを聴いた。
 ギリシャの片田舎からローマにでてきた画学生ニコスは、同じ下宿にいた姉のエルダに恋し、お互いの恋人を棄てて一緒になるが、いつか有名画廊の娘アニタをしり、愛欲に溺れる。…ニコスはエルダの妹リーザとアニタ、それに美しいカメラマンのグロリアを連れてエーゲ海に向かう。
 エーゲ海での日々は夢のような愛にみちた時間だったが、愛欲のはてにリーザの銃弾に人生を閉じる。 言葉もなく見守っていたのはどこまでも深く青い空とエーゲ海だった。 池田満壽夫の芥川賞作品「エーゲ海に捧ぐ」である。
 すぐる夏、エーゲ海のクルーズに誘われたことがあった。ヨットで過ごすエーゲ海といえば、アバンチュールの日々がついてくる。
若さの終着にエーゲ海をめざすのは生きる証し、応じられない男ほど情けないものはなかった。
 あのエーゲ海にマグニチュード7.0の地震がおきた。沿岸には津波が押寄せ、多くの犠牲者をだしていると報道されている。
 エーゲ海の真珠はどこへいってしまったのか。コロナの再拡大とエーゲ海の津波など、ついこのあいだまで夢のまた夢だった。
 人類はどこかでとんでもない間違いを侵してしまったのだろうか。
 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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