ナント歴史博物館の迷惑・中国

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 フランスが中国の文化干渉に当惑している。
 ことの起こりは、フランス西部ナントの歴史博物館が「チンギスハンとモンゴル帝国の歴史文化」についての展覧を企画したところ、中国から猛烈な干渉が入り、「チンギスハン」「モンゴル帝国」「モンゴル文字」という文言の削除を要求してきた。
 理不尽な政治的クレームであるのはあきらかだが、実現することを優先した博物館は催事のタイトルを変更、「天空と草原の子ーチンギスハンとモンゴル帝国の誕生」と変更したが、中国はさらに大幅な変更を要求してきた。
 結局博物館側は、「人類や科学、倫理的価値観を守るため、計画の見直しと延期を決定した。
 いま中国はモンゴルの文化的弾圧に奔走している。
 モンゴル語を禁止し、義務教育からすべて中国語にし、モンゴルの歴史そのものを抹殺しようとしている。モンゴル人を同化して中国人として再生しようという恐るべき計画である。この夏世界中で爆発したモンゴル人による抗議活動の爆発がよほどこたえたのか、モンゴル人のナショナリズムをもっとも鼓舞するモンゴル語とチンギスハンには異常な神経をとがらし、なりふり構わず世界中で禁止にはしつている。
 これだけ無分別な事件か起こっても日本の有識者は、話しあえば判るといった曖昧な態度に終始しているが、いくら中国に譲歩しても、友好どころか、先端技術は窃取され続け、我が国固有の領土まで狙われるようになっている現実を正面からみるべきだ。
 「モンゴル帝国もわが中国古代の地方政権に過ぎない」と詭弁をろうして周辺国に次々と文化的ジェノサイトを拡大する中国のことだから、尖閣どころか沖縄さらに「日本も古代中国の一部族に過ぎなかった」と言い出しかねない。中華思想と中国共産党は本当に始末に負えない。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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