低脳化した日本学術会議

by

in

日本学術会議.jpg
 「学問の自由を失う。政府は理由を説明せよ!!」
 またまた反政府運動が始まった。例により反日左翼と反日メディアによる国家国民を愛さない不思議な闘争である。
 菅内閣による前例踏襲打破の政策がカチンときたのだろう。
 210人の推薦会員から6人が拒否されたという事実に、学問の自由をふりかざしている。国家国民に愛情をもたず、国家の存立にたいして不安をもたらすような学者は採用しないのは至極当然のことだろう。日本の文化、人文、科学を代表する学者たちに、その程度のことも理解できないような組織なら解散して作り直した方がいいのではないか。政府の機関である日本学術会議は、日本国の組織であり、外国の代表機関ではない。菅首相の決定は一般国民にとってごく当たり前のことで、新聞の大見出しになるようなことではない。
 日本学術会議は「日本の軍事研究はいっさいしない」ということを標榜しているが、世界のどこをみわたしてもそんな大学はない。
 国家を弱体化するためのスローガンであることに気がつかないオバカな学者の集まりである。
 世界一のノーベル賞受賞者を誇るマサチューセッツ工科大学から、いま世界を支配しているコンピューターは生まれ、あの原子爆弾計画も誕生した。 その業績からヴァネバー・ブッシュは、アメリカ国家科学賞をえている。
 ドイツでも、フランスでも、イギリスでも、国家の安全にかかわる軍事研究は大学の第一義的研究になっている。
 マッカーサー司令部の陰謀により、日本を弱体化するための学術会議政策をいまだに信奉している学者がいることが噴飯ものだ。
 日本学術会議は政府の下部組織であることを認識し、国家国民のために働くことを再認識すべきだ。
 学問の自由などというトンチンカンな議論はそうそうに願い下げにしてほしい。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ