バラの花束は我々世代にとって青春のシンボルだった。
いつか大きなバラの花束を抱え、彼女のもとを訪れる時を夢見て日々をおくったものだ。だから映画のなかでも、舞台でも一本のバラに出会った時、その一本のバラに託した主人公の秘めた心も苦悩も類推して、ともに悩み、ともに喜ぶことができた。
近頃の若い女性はナマの花束を喜ばないと聞いた。
毎日、花の世話をし水を取り替えるのなど面倒だし、なによりも花瓶がない。花をくれるのなら、その後の面倒まですべてしてくれ、と言うのだ。
花を届けてくれた相手への心ずかいなどまったく存在しない。そこにあるのはわがままな自己都合と殺伐とした人生の風景だけだ。
かって「百万本のバラ」というロシア歌謡が流行ったことがあった。
グルジアの画家ニコ・ピロスマニが女優マルガリータに恋をし、家財すべてを売り払って百万本のバラを捧げたという実話にもとずく恋歌だ。
〽 百万本のバラの花を あなたにあなたにあげる 窓から窓から見える広場を 真っ赤なバラでうめつくして……
こんな風景は、花束を喜ばない女性たちにとってなんの感興ももたらさないのだろう。面倒くさい歌だな位にしか思わない、そんな娘たちをつくった犯人は文部省?、日教組?、両親?、もしくは新しい生活様式? いずれにしても悲しい現実である。
花束を喜ばない娘たち
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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