ジュリエット・グレコが亡くなった。2020年9月23日。享年93才。
長い黒髪と黒ずくめの衣裳で、サン・ジェルマン・デ・プレのミューズ(女神)と呼ばれていた。
筆者の世代にとって、哲学とシャンソンとサン・ジェルマン・デ・プレは、グレコの「枯葉」とともにやってきた。
第二次世界大戦のさなか、ドイツのゲシュタボにつかまって収容所に送られたこともある。
彼女はオペラ座舞踊学校を卒業したが、バレエは踊らず、サルトルの薦めで歌手になった。当時サンジェルマンを根城にしていた、ジャツク・コスマやジャック・プレヴェール、そしてサルトルなどに愛され、シャンソンの道へ進んだ。
バレエ学校で学んだ貴族たちに媚びるバレエの動きを嫌い、彼女は徹底的に動きを排除して、不動のシャンソン歌手と呼ばれた。
1960年4月1日、ムーラン・ルージュの前には16頭の白馬が並んだ。
「ラ・ルビュー・ジャポネーズ」の初日を祝って大統領が駆けつけてくれたのだ。
大統領に次いで来てくれたのは、ジュリエット・グレコだった。終演後、伝説の黒いドレスで楽屋まできてくれた。
オペラ座バレエ学校に学んだ彼女は、遠いアジアの日本のトラディショナルな踊りに興味をもって、あれこれと質問してきた。
サンジェルマンのミューズへのリスペクトがました。
「巴里の空のした」「枯葉」「私は私」「日曜日は嫌い」…乾いた低音のグレコの声はなにものにも代えがたい。
マクロン大統領はツィッターに書き込んだ。
「グレコの声と顔は我々の暮らしとともに生きつづけるだろう。サンジェルマン・デ・プレのミューズは永遠である。」
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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