新宿西口「思い出横丁」

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 日本橋、日比谷、虎ノ門、池袋、渋谷、…次々と東京大改造が行われている。
 新宿西口にも迫ってきた。 2029年までに小田急百貨店から新宿ミロードまでが、地上48階建ての超高層ビルに生まれ変わるという計画だそうだ。
 気になるのは西口から大ガードにかけて今に残る「新宿西口思い出横丁」通称「ションベン横丁」のことだ。
 戦後、焼跡に働く貧しい労働者や、若くして夢を食べて生きてきた芸術家たちのオアシスだった。いすまでも新宿大ガード脇の2,000平方メートルの
地域に80件ばかりの店がひしめいている。
 ワインやフレンチなどと言っている成り上がりは決して近かずかないが、昭和の雰囲気の色濃く残る人情味あふれる街である。
 「つるかめ食堂」には当時のB級グルメがそろっていた。
 「カブト」はコスパに優れたうなぎ屋だった。
 「トロ函」には刺身、焼き魚、煮付け、干物と魚料理のすべてがある。
 「やきとりタロー」は焼き鳥の名店。
 「第二宝来屋」はもつ焼きの専門店。
 蛙やどぜうの丸焼きで精を付けたいときは「朝起(アサダチ)」へ通ったのが、徹夜あけの新劇研究生だった。
 戦後焼跡の闇市を彷彿とさせるあんな町はいまはどこにも見当たらない。
 「思い出横丁」は歴史の証人であり、生きた昭和の博物館なのだ。
 再開発には負けないで生き続けて欲しい「ションベン横丁」なのだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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