「新型」にまつわる呪い

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 75年前の今日の夕刊と明日の朝刊に躍っていた活字は「新型」だった。
 「新型」という活字には「無知」という意味と、もはや「抵抗できない」という絶望感がただよっていた。
 新型に続いた文字は爆弾だった。敵米空軍は広島に対して「新型爆弾」を使用したというのがおおよその記事であった。新聞にはそこまでしか書いてなかったので、中学二年生の筆者は新型というのだから、今までの縦型の爆弾ではなく円盤型か、それとも球体型の今まで見たことのないカタチをした爆弾に違いない、と想像した。
 が後日広島の惨状が写真で報じられるようになり、これは尋常一様ではないと認識するようになった。
 学校ではいつもウンチクを垂れる先輩に集められ、「あの爆弾はとんでもない化学爆弾で、ミナコロシ爆弾だぞ」という説明をうけた。
 75年後の今、やはり新聞やテレビに躍っているのは「新型」という言葉である。
 新型武漢コロナには、いろいろな情報がついてくる。
 蝙蝠の刺身を食べた中国人から全世界に広がったのだ。あるいはコロナ菌の形式を調べると、自然界には存在しない形であって、中国が研究している細菌兵器から漏洩したものだ、等々。
 「無知」なわれわれ庶民は、小池百合子のしたり顔と「政府が無策だ。アベが悪い」と騒ぎ立てる玉川某と、テレビに出まくって意味不明の解説をする白鳳大学の肥満老嬢に振り回され、不安な日々を送るしか道はない。
 「新型」という言葉は、あの世界大戦末期の絶望感と人間の無知を思い出させてくれる。
 「新型自動車」といわれても、みな関心をもたなくなった。
 「新型ファッション」も死語になった。 
 「新型コロナ」もはやく死んでほしい。
                     今日は「新型爆弾」の日である。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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