昭和の時代、首に包帯をまいて白いマスクをした少女がいた。
そうした少女達は熱量が高く、うっかり見つめようものなら、ガンを付けたなと脅かされるのが堕ちであった。
戦後焼跡の時代、駅前には必ずと言っていいほど、汚れた白衣をきて杖をつき、マスクをした傷病兵のような人が立っていた。戦争で傷ついた風情で同情をかい募金をあつめていた。後にこの傷病兵スタイルのシロマスクは、そうした衣裳を身につけたサギ集団であることがばれ、自然消滅した。
2、3年前から銀座にいくと白マスクならぬ黒マスクや赤マスクをみかけるようになった。どぎつい色のマスクからはほぼ中国語がとびちっていた。
原宿を歩くとグレーやチョコレートのマスクをみかけた。少しお洒落なイメージもあり、マスクの白からの脱出に少しずつ共感できるようになった。
小池知事が、マスクと医療用防護服を20万枚中国に贈ったというニュースが流れた。よもや東京がこんな状態に陥るとはまったく想像できなかったのだろう。
アベノマスクが話題になった。マスクは医療用から政治用にかわった。
芸妓さんからは今年の夏の浴衣をつぶしてヒト針ヒト針丁寧につくられたマスクが送られてきた。友人からはハーフトーンのマスクがおくられてきた。人気役者の番頭さんからは家紋の入ったマスクのプレゼントである。みんなそれぞれに工夫をしてマスクを創っている。
Tokyo Bayには日本初のますく専門店「ますく屋」がオープン。お洒落マスク約100種、500枚がならべられている。
「……まさかこんなにお客様がくるとは」誰よりも店長が驚いている。隣のファッション・ブティックがつぶれて「ますく屋」が栄えるとは…。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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