日本最初の写真雑誌「アサヒカメラ」がついに廃刊になった。
朝日新聞よりさきにアサヒカメラが倒れるとはおもわなかつたが、やはり出版不況の波をかぶったともいえるし、デジタル化時代に対応できず、カメラ人口が圧倒的に増えているにもかかわらず、結局カメラ愛好家たちのニーズに答えられることなく敗れたとも言えよう。
言葉を変えれば、アサヒカメラが維持してきた映像の権威がもろくもくずれさったということだろう。今日のカメラ・ユーザーの意識とは全く違う処に
アサヒカメラはあった。
ドイツの名カメラLeicaが発売されたのが1925年春、そのあくる年1926年4月に創刊されたアサヒカメラはこの国の写真の世界を引っ張ってきた。 ワイマールの芸術学校バウハウスで起こった「ノイエ・フォト」運動をいち早く紹介して、当時日本にすでに上陸していた「ノイエ・タンツ」などとともに新芸術の先頭にたっていた。
ただその後の写真におけるデータ重視の傾向は、写真から詩や文学を奪い、感覚とデータだけのつまらない写真にしてしまった責任も多いにある。
3年前、アメリカのカメラ専門誌Popular Photpgraphyが廃刊し、いま世界一のカメラ製造基地である日本からアサヒカメラが消えるという事実はなんとなく寂しくもある。
デジタルの現実をリアルに捉えることが出来ず、いまこそフィルム! と表紙にすりこんで最終刊となったのは、親会社が最後まで従軍慰安婦にこだわり、国内版で訂正謝った後にもかかわらず国際版では従軍慰安婦の存在を肯定し続けて、結局クォリティ紙の権威を失った現実とオーバラップする。
アサヒカメラの後に新しく生まれるカメラ誌に期待するしかないだろう。
アサヒカメラ 遂に廃刊!
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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