都知事選挙に絶望する

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赤いレインボーブリッジ.jpg
 東京在住の友人から電話がかかってきた。
 「ねぇ、東京都知事だけど誰がいいと思う」「うーん、困った質問だなぁ…」「意見があるでしょ、教えてよ。」「そりゃ意見はあるけど、都知事に関しては本当に困るんだよ」「どうして、誰か近親者でも立候補してんの」「とんでもない、誰か知人が立候補していれば、忖度して投票するけど…誰もいないから困っているんだよ」 「誰もいないって?沢山立候補してんじゃない」「だから困るんだよ。東京には人がいないのかなぁ。ゴミ捨場みたいなとんでもない人しか立候補してないじゃない。もっと東京の明日を託せるような、賢人に立候補してもらはないと、アフター・コロナの東京に希望が持てなくなってしまうね。」
 小池知事はなにかというとヨコモジを持ち出して大衆を幻惑する手品師みたいなもので、なにひとつ公約を実行しないという珍しい人柄だし、……。築地は守る! 豊洲は活かす! と言った後、築地は「食のテーマパーク」にすると再開発を約束、舌の根も乾かないうちに築地には「国際会議場」を建設すると発言、その時々の風次第であっさりと前言を翻す水商売の女のようでもあるし、選挙の時の公約「七つのゼロ」もなにひとつ実行されていない。
 満員電車ゼロ、電柱ゼロ、残業ゼロ、待機児童ゼロ、ペット殺処分ゼロ、介護離職ゼロ、多摩格差ゼロ、辛うじてペット処分ゼロだけが達成している。
 オリンピックの会場問題も騒ぎ立て、宮城、埼玉、神奈川とあちこちに期待を持たせただけで、結局すべてはもとの鞘に収まってなにひとつ変更はなかった。 要するにこの人は目立ちたいだけのパフォーマーなのだろう。
 コロナ対策もアメリカの疾病対策センターを真似してCDC東京版を創設するといっているが、東京大改革も結局はレンボーブリッジを真っ赤にしたかっただけのタレント上がりなのだろう。 本当に都政の明日をたくするに相応しい賢人よ出てこい、といいたい。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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