次の公演は開くべきか、止めるべきか、今悩んでいる小劇団や、ショウ・チームは随分沢山あることだろう。
彼らは商業演劇とはことなり、自前で劇場をかり、仕込みから宣伝まですべてすべて手ずくりでやらなければならない。
なんとか公演に持ち込んでも客席の半分はカラでなければならない。ちいさな小屋を満員にして、やっと採算のとれる公演で、前後左右に空席を確保しての公演では、到底採算はとれない。
なによりも劇場空間の熱気も伝わらず、狭い楽屋も駄目となれば、ロビーで化粧するしかないだろう。
テレビタレントならばライン参加とかいって自宅からの空疎な映像でかせぐことはできるが、バイトをしながら明日を志す役者やダンサー達は希望をたたれ、モンモンと時間を費やしていくしかない。
ならば逆手にとって「コロナ」をテーマにしたレビュウなど上演したら如何と、考えてみた。
序章 コロナ感染者たちのボレロ
第1景 コーモリの喜び(4羽の白鳥風)
第2景 フェイス・シールドによる医者と看護師の二重唱
第3景 はなればなれのラインダンス・A
第4景 モダンダンス・コロナ菌の発病と感染
第5景 マスクの踊り・極小から巨大までのライトショー
第6景 ロックアウトの兵士たち
第7景 クラスターの群舞・ホストクラブとバレエ・スタジオ
第8景 はなればなれのラインダンス・B
第9景 孤独のバラード
第10景 体温測定のタンゴ
第11景 旗のバトル・中国旗とアメリカ旗、日本、英国、フランス、ドイツ、スペイン、イタリアと国連旗 などなど
第12景 集団行動・コロナにぶつからない
第13景 喜びのラインダンス
第14景 グランド・フィナーレ
題して「哀しみと喜びのレビュウ・コロナ 2020」 でした。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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