梱包は芸術ですか?

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青いアンブレラ.jpg
ポンヌフを包む.jpg
 茅葺の小さな農家の窓があいて、おばあちゃんがじっと外をみつめていた。
 北関東の静かな農村地帯に突如として都会の若者やら、スポーツカーのカップルが押寄せた。こんなに多くの人を見たのは、おばあちゃんの一生にとって恐らく初めての経験だったろう。
 クリストさんという変な外人に頼まれたから、まあえぇやろと承諾したが、こんなことになるとは想像もつかなかった。
 見渡す限りの田んぼにでっけえ傘がいっぱいたっちまって、まあ驚いた。傘の直径は8.7m、高さは6mの青い巨大な傘が見渡す限り1340本も立って、何のためだか知らねぇが、東京の方からぎょうさん人間がやってきた。聞くところによると、海をはさんだ対岸のカリフォルニアつぅところにも1760本の黄色い傘がたっているそうだ。
 クリストとジャンヌ・クロードの太平洋をはさんだアンブレラ・プロジェクトは1991年だった。
 それまで彼らは、1969年に海岸の梱包をしたし、1970年にはロッキー山脈の谷間に巨大なカーテンをつけ、1985年にはパリ、セーヌ川にかかる一番古い橋ポンヌフを梱包した。
 「芸術は永遠であるという概念への挑戦」がクリスト夫妻の主題だった。
 もしこの春に世界的なコロナの騒動がなければ、凱旋門が梱包される予定だった。先だった女房との思い出のパリ、ふたりで登った凱旋門を梱包して人生のターミナルにしたかった。
 が未遂のまま5月末、クリストはニューヨークで84歳の生涯をおえた。さぞ残念なことだったろう。 合掌


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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