インバウンド、グローバル、コロナ、マイクロ・ツーリズムのお笑い

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星野温泉看板.jpg
 ついこの間まで「インバウンド、インバウンド」の大合唱だった。
 町長も観光協会長も口を揃えてインバウンド、一行徒党を組んで中国やら、台湾やらへ宣伝旅行、インバウンドにあらざれば人に非ず、の呈をなしていた。今日からはグローバル、なにごともグローバルに物事を考えなければ明日はない。流行はインバウンドとグローバル、それ故にG7にもG20にも立候補します。なにしろ軽井沢は国際観光都市ですから。
 実態は国際会議場ひとつなく、通訳システムひとつない。頼りはプリンス・ホテルの広間と万平ホテルの離れではなんとも恥ずかしい。かと言って会議都市としてのシステムを創る覚悟も意欲もない。
 星野リゾートの社長も地元志向だった星野温泉を潰して、インターナショナルな客のため1人一泊80.000なり、二人でいけば一泊20万円の超高級旅館に衣替え、更にアメリカのジャンク・ファンドの資金を頼りに、日本中の営業生きずまり旅館、ホテルの運営に乗り出している。
 早速グローバルからの仕返しがきた。ヨーロッパではいち早く「グローバル化反対」の狼煙があげられたが、盟主イギリスを始めドイツ、イタリアと手元不如意だったため、まんまと一帯一路の罠に堕ちた。
 お礼のしるしに新型コロナの大群が押寄せた。もはや手遅れ、やっぱりグローバル化しなければよかった、とぼやいても国境まで取っ払ったあとでは間に合わない。簡単に国を開くとこんな眼にあう、その見本のようなコロナ来襲だった。中国人の去った後にはコロナ・ウィルスが猛威を振るい、何十万の同胞を失い、経済も滅茶滅茶になった。絶望的なコロナの跡である。
 星野リゾートのボスは早速に看板をつけかえた。これからは「マイクロ・ツーリズム」。日本語でいえば「小さな旅」である。ご近所や県内の客を大事にしなければ明日の観光はない、どの口が言うかという話、ご近所や国内の客を追い出したのは、星野佳治あなたではないか。
 英語で表現することで、ごまかそうとするのは、小池百合子も星野佳治も同じ、日本の教育をうけず海外の学校を卒業した人々だ。小池百合子はとうとう「ウィズ・コロナ」といいだした。かたや「インバウンド」が駄目なら、「マイクロ・ツーリズム」、かたや「ステイ・ホーム」の後は「ウィズ・コロナ」この人たちには日本人の真面目な心情はない。
 その場しのぎの外来語を弄ぶ無国籍な人々である。こういった人たちとは、正しくソーシャル・ディスタンスをとっておかなければ、ひどい目に会うのは庶民である、と事実が証明している。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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