東京近辺にある「うどんすき美々卯」が一斉に閉店することになった。
コロナのせいか、やっぱり関東は蕎麦なのか、いろいろと詮議されているが、香川のシンプルなうどん以外では圧倒的な人気を誇ってきた。
半世紀前、初めて大阪で演出の仕事に呼ばれ、美々卯につれてってくれるならと条件をだしたら、お安い御用とばかり淀屋橋の本店に連れていかれた。
いかにも大阪風な気風のいい仲居さんが、大きな真鍮の打ちだし鍋に次々と材料を入れる。
出汁は利尻の昆布と土佐清水のメジカ、仕上げに宗太鰹の削りかけ、そして車海老、蛤、鶏、椎茸、子芋、白菜、湯葉、ええものいっぱい入れるから美味しくなると、関西弁のウンチクを聞きながら饂飩にたどりついた。
もう一軒わざわざ饂飩にありつきたくて通ったのは「名古屋の山本屋」。
あの頃東海道線をいっぽん見送って名古屋に途中下車、駅の地下にあった山本屋の味噌煮込みうどんに駆け込んだ。
赤味噌と白味噌にザラメを加えた山本屋の味味噌がなんとも嬉しく、ぐずぐずと煮立った出し汁が伊賀の土鍋で登場すると全身がときめいた。
シコシコとした張りのある生めんに蒲鉾とねぎと玉子の乗ったシンプルな組立と、名古屋ならではの味噌の奥行が忘れられない旨味をつくっている。
次の列車に乗った東京まで、味噌煮込みのシアワセで帰ってきた。
香川のうどん、あつあつ、あつひや、ひやあつ、ひやひや、といったうどんそのものを食べる作法を覚えたのは、高齢者になってからのことである。
美々卯と山本屋
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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