五月の空に鯉のぼりがいない

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 今日は端午の節句だ。
 事務所に多くのスタッフが出入りしていた頃には、この日は必ず鶴屋八幡の柏餅を積んでみんなに振舞っていた。
 事務所のベランダには小さな鯉のぼりを出して、男たちの仕事ぶりを祝っていた。六本木の空にも鯉のぼりがあがっていた。
 軽井沢は田舎だから当然鯉のぼりは上がっていると信じていたが、旧軽井沢にも中軽井沢にも追分にも鯉のぼりはない。男の子が生まれていないのか、それとも親は子供の健やかな育ちを念じないのか。
 三井の森にも鯉のぼりはいない。軽井沢の空に鯉のぼりはいない。
 愛する我が子が鯉のように逞しく、激しく流れ落ちる滝を登り、龍のように天を登っていくように、祈らないのは何故だろう。
 黒い真鯉は父と冬を、赤い緋鯉は母と夏を、青い稚鯉は春と成長を願って、風をのんで大空に浮かぶ景色は五月の空そのものだった。
 吹流しは家の魔除けになると祖父から贈られてきた。かってのよき日本の風景がどんどんなくなって行く。
 テレビでは家庭に閉じ込められた子供たちに、マスクの作り方やら手洗いの仕方やら一生懸命に教えているが、鯉のぼりの意味や作り方など教えてこの国の五月の空をとりもどすほうが、よほど素晴らしいとおもうが如何。
 ああ、鯉のぼりの上がった五月の青空を見たい。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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