日本新聞協会のエッセイ募集広告をみて、一瞬冗談かと思った。
特別審査員としてテレビ界のカマトト娘として著名な小林麻耶のアップがのっている。
「新聞という病」「新聞の終りの始まり」と年々新聞への信頼が失われ、新聞をよまないことが若者のステータスになっているときに、新聞社のすべてが集まり大々的に公募するエッセイの審査員が「マヤカシ」のシンボル小林麻耶では、あまりにもお粗末ではないか。
やっぱり新聞社ってのは没落の断末魔なのだと、みんなを説得するに充分なキャストである。新聞の知性がこの程度のものとみずから告白しているような特別審査員である。
文学賞であれ、戯曲賞であれ、エッセイ賞であれ、文字ないし言葉をえらぶコンテストは数えきれないほどある。
みなそれぞれのよって立つ背景と思想哲学を基盤に応募作品を選んでいるが、どの賞も真面目に運営されている。どんなに小さい賞でも言葉の達人、文章の達人に選考を依頼し、応募する人々の意にこたえられる人を選者としている。
から騒ぎのカマトト、思わせぶりに人にせっするマヤカシの芸人を選者にするところなど、まず見当たらない。本当に日本新聞協会が主催する催事なのだろうか。
新聞人を自他ともに許す人々が、審査を託するに値するタレントを認めたとすると、「新聞という病」はそうとうに重いと感じざるをえない。
朝日新聞のヘイトに騙される日本人は、そういつまでもいない。新聞に期待する知性は何処かへいってしまった。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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