梅沢冨美男の転落・プレバト春光戦

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 梅沢冨美男がとうとう転落した。
「この番組は俺で持っているんだ。なんだ、この野郎!」と豪語していた梅沢が、プレバト春光戦で最下位に転落した。そもそも彼には、さもしい地上波テレビに出演しているという自覚がない。モーニングショウの玉川や、松岡修造に共通する厚かましさと他人にたいする謙虚さが欠けている。
 夏木先生に対する礼儀もないし、他の出演者にたいする態度も、無礼をうりものにしている不愉快な芸風である。
 春光戦のお題は「不動産屋の貼り紙」
   第一席は東国原英夫の作品
   ” まるでシンバル 移り来し街 余寒 ”
   ・・・彼のの青春の寂しさがしみじみと伝わる。
   第二席は藤本敏夫の作品
   ” 1 D K 八重桜まで 徒歩2分 ”
    ・・・これも彼の実体験だという。
   第三席には中田喜子が入選した。
   ” 若芝に大の字 身ひとつの移住 ”
    ・・・彼女の喜びように思わず涙が流れた。
 プレバトを見ていると、芸人たちの教養の深浅がよく判り、意外な発見もある。お題に対する想像力の飛躍にそれぞれの可能性を感じることもある。
 馬鹿馬鹿しいお笑い芸や、偏ったニュース報道よりもはるかに有益で面白いプログラムなのだ。
 ちなみに梅沢冨美男最下位の句は、
 ” 風呂なしの 四畳一間の 三葉芹 ”
   ・・・三つ葉芹の生命力が伝わらない。自己陶酔の駄作である。
                 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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