夜8時の拍手

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シャロンヌ通り.jpg
 パリ11区シャロンヌ通りに住む友人Tomo & Yukiからのメールである。
 夜8時になるとあちこちのアパートから拍手がきこえてくる。
 お医者さん看護師さんその他大勢の医療に従事する人々への、感謝と応援の拍手だそうだ。
 拍手はアパートの中庭のあちこちからもそれぞれの想いをこめてきこえてくる。昨日の晩にはお鍋をたたく音まで加わったと書かれていた。
 ひときわ明るい窓が開けられ、立派な髭をたくわえた紳士が現われる。堂々としたテノールで「誰もねてはならぬ」オペラの歌曲が歌われる、あちこちの窓が開いてそれぞれに聴きいる。窓辺の椅子に座って静かに聞きいる老夫婦、手を振りながら乗り出してきく子供達、新婚の若いカップルも窓をあけ小鳥とともに耳を澄ましている。
 オペラ座も閉鎖され、彼の歌うべき舞台も奪われてしまった。せめて近所の人々にでも聴いてもらえたら。外にでることは一切禁止されているので、我が家の窓から天に向かって歌う。路地をへだてた向かいの人々も彼の声にききいる。窓から窓に広がるオペラの響き、あちこちの窓からの拍手は、彼の耳にはオペラハウスのアンコールに聴こえたに違いない。
 外出をするときはいちいち許可証をもって出ねばならず、それでも初日には400人のフランス人が捕まり、三日間ですでに4000人のパリジャンが捕まったそうだ。アパートに閉じ込められた二人には静かな絶好のときと捉えて過ごしている、と結ばれていた。
  パリから届いた武漢コロナの日々と、そこにあるいかにもバリジャンならではの心温まる拍手の夜のお手紙でした。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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