武漢コロナのお蔭で、パリからカフェが消えてしまった。
パリにとつてカフェは空気そのもので、街角からカフェが消えたらパリは生きていけない。
サルトルは「レ・ドウ・マゴ」の5階に住んでいたし、モディリアニは「ラ・ロトンド」で、ピカソや藤田嗣治は「ル・ドーム」で若い夜を費やしていた。
黑づくめのシックなジエンヌが働くトロカデロの「カレット」も閉めている。せめて彼女たちがコロナに感染することなく、ペントハウスで静かに過ごしていてくれたらと祈るばかりだ。
エッフェル塔もルーヴルもみな閉められて、パリは死んでいる。
1947年にアルベール・カミュが「ペスト」という小説を発表した。
とある医者が一匹のねずみの死体に遭遇するところから始まる話だが、その描写が武漢ウィルスに似ているというので、いま改めて反響をよんでいる。直面する死への恐怖、愛する人との別れなど、伝染病ペストを介して予期しない戦いが描かれている。
焼け野原と化した銀座の小さな喫茶店でページをめくったことを思い出した。
哲学という言葉はサンジェルマンのカフェときっても切れないし、モンパルナスのカフェでは20世紀の画家たちのさんざめきを想像した。
パリのカフェにはいっぱいの歴史や文学があふれている。パリにもしエッフェル塔がなかったら、というジェンヌたちの設問があるが、それ以上にパリからカフェが消えたら、パリの人々にとってこんなに苦しい日々はないだろう。
パリで働く若き友人、tume & yuki お二人はコロナを蹴散らしているだろうか。ちょっぴり心配である。
パリからカフェが消えた
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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