ひな祭りが済むと、すぐにお人形をしまわなければならなかった。
いつまでもお人形さんを飾っておくと、お嫁に行けなくなるからと、幼い妹の行く末についての母の心ずかいだったのだろう。
綺麗なお人形さんが並んで折角華やいだ座敷から、春の香りが逃げていくような気がして寂しかった。
お人形さんをしまう時は、いつも三人官女を担当した。内裏雛は母がしまい、五人囃子は誰がしまっていたか全くおぼえがない。
官女の顔がとてもきれいに見え、そっと触って、ひどく叱られたことをおぼえている。毛ばたきで見えない埃をおとし、白いやわら紙を裁たんで顔を覆い、後ろでこよりにした紙を結んでそーっと箱に収めた。
人形をしまうオコナイがとても厳粛なことのように思え、どこかで神様が見守っているような気がした。
久しぶりに相方が今日はお雛様だから、ちらし寿司つくると言い出した。
たりないのは蓮根と紅ショウガ、それに蛤と言われ、買い物にでかけた。蓮根の余り太くなく美味そうなのを探すのは少し手間だったが、紅ショウガも蛤も無事買い求めて帰ってきた。
キッチンから大声が飛んできた。何事かと覗いたところ、蛤が中国産ではないかと相方が怒っている。大ぶりの蛤はなく、少し貧弱なサイズの蛤と思ったが、他になかったので買ってきてしまった。中国産というラベルには気がつかなかった。
折からのコロナ菌ウィルスの騒動もあり、中国産というだけで不潔なイメージを持ってしまうのだろう。蛤のお吸い物は残されたままだった。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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