丸の内・銀座の屋台せんそう

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 丸の内・有楽町界隈の昼どきの風景が変わりつつある。
 そこここに屋台が…いや、いまどきはキッチンカーがでて、と表現しなければならないが、とにかくモダン屋台にオフィスガールやネクタイ族が群がっている。ニューヨークならば、7番街やウォール街によく見る風景が丸の内辺りにダブって現れる。
 新しく出来るビルが土地利用に余白をつくるようになり、お国で管理しない自由な空間がふえたということなのだろう。
 東京駅近くなら、都の施設国際フォーラム村に多くのキッチン・カーが登場する。
 8台も出現する国際フォーラムの屋台では、パエリア、マルゲリータ、キーマ・カレー丼、シラス丼、等ほとんどのメニューが、700円前後で食することが出来る。なかにはステーキのキッチンカーもあり、1500円だせばすこし贅沢なランチが楽しめる。
 銀座にお店をもちながら屋台営業をする店もある。なにより家賃がかからない、人件費も安い、簡単に看板も塗り替えられる、メニューが少なくて済む、景気不況のいまに上手くはまっているのだろう。
 キッチン・カービジネスのノウハウを教えてくれる塾もある。キッチンカーすなわち軽トラのレイアウト、メニュー別のカーカラー選択、看板の書き方、材料の仕入れ方、調理と盛付のこつ、から冷蔵庫、調理器具のあれこれ、ビル構内での営業許可のとり方、スタッフの衣裳、エプロンの選び方まで親切丁寧に教えてくれる。
 原宿あたりのスイーツ専門カーから、伝統的なラーメン屋台、東南アジア系のエスニック屋台、オムライスは絶対という玉子や屋台、さらに俺のステーキ風の洋食屋台、庶民の懐ろに反比例してキッチンカーの戦国時代が始まろうとしている。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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