東京にはいろんな祭がある。
太神楽はもちろんのこと、里神楽も獅子舞も神輿も山車も、餅つき唄、みずとめ舞、角乗り、囃子、式三番、びんざさら、車人形、万作芝居等々。山王神社、深川八幡、神田明神の江戸三大祭、そして浅草の三社祭、江戸っ子は本来まつり好きだったのだろう。がこうした大きな祭以外のちいさな祭にも捨てがたい面白い祭がある。
建国の日の前後、板橋下赤塚・徳丸で行われる「田遊び」は東京のエロイ祭りとして最強のまつりである。田んぼと畑が見渡す限りの東京のころから、1000年は続いている五穀豊穣と子孫繁栄のためのまつりなのだ。
科学がない時代、交わりのすえ子供ができる不思議、田圃の稲穂に米がはらむ不思議、こうした不思議は祈りで解決するしかなかった。暖かさと光が訪れるこの時期ゆえ、この辺りの農民たちによって秘祭として夜に行われてきた。
稲作の初めから収穫までの予祝と、子孕みへの願いがひとつになって、この祭りはできている。
女陰を象徴化した花籠に、男根をおもわせる花槍が繰り返し突進する判りやすいパフォーマンス、あるいは 翁の太郎次とおかめのやすめによる性行為に似たおこないなど、じつに明解な子孕み願望そのものだ。苗代つくりから収穫までの稲作行為とからんで、子供の登場でみごと願望成就となる。
無形文化財の指定をうけるまえは実におおらかにダイナミックに演じられていたが、お役所のお墨付きとともにエロイ部分がうすまり、文化財にふさわしい行儀のいい芸能になってしまったのが残念至極である。
田遊びに立ち会うと、江戸農民のリアルな願いが見えてくる。
東京一のエロイ祭り
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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