日本食に「ねぎ」は欠かせない。

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 「ねぎ」は食卓の香味野菜として、ベストワンではなかろうか。
  蕎麦の脇役から、ネギマ鍋のマグロの友に至るまで、「ねぎ」はこのうえなく働きものだ。「ねぎ」のない日本食はずいぶんと薄味になり、つまらないものになる。
 伝統野菜の名物としても「ねぎ」ほど全国各地に多くのブランドをもつものはすくない。
 山形の鶴岡には「雪中軟白ねぎ」と称する冬の庄内にぴったりの特産品がある。辛みガマイルドでサクッとした食感が特徴、ネギま鍋に合う。
同じ山形の酒田へいくと、「平田赤ねぎ」という白味がワインカラーのおしゃれなねぎに遭遇する。
 青森には「南部太ねぎ」がある。絶滅しかかったのを地元の農業高校の努力で復活した。甘味たっぷりでまるごと食べられる在来種だ。太くて立派のつながりでは、群馬の「下仁田ねぎ」、このねぎを入手すると肉を買いにはしり、今夜はすき焼きというのが我が家のルールである。このねぎ程、すき焼きに合うねぎはない。
 このほか関東にはブランドねぎが多い。「深谷ねぎ」「吉川ねぎ」「柏産ねぎ」「九十九里海っ子ねぎ」そして東京にも江戸川ぞいの「新宿ねぎ」。
 色っぽいのは新潟の「やわ肌ねぎ」湯気のたつ鍋にひかえるやわ肌ねぎはなんとも色っぽい。
 京野菜の「九条ねぎ」も個性的というべきだろう。青い部分がいくつにも分かれ、他のねぎにはない香りと甘味がある。京料理に九条ねぎは欠かせない。
 そもそもは中国、シベリアから大阪に渡ってきたのが、ネギ渡来のルーツといわれているが、この大坂の「難波ねぎ」が711年の伏見稲荷造営に際し、京都に運ばれ、ここから九条みぎが生まれ、全国にひろがったといわれている。
 「難波ねぎ」は、にほんのネギの総本家なのだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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