ピンクの靴が問題になった。
記録をだした優秀選手はみなピンクのスニーカーをはいていた。
ピンクの靴は目の敵にされ、世界陸連から使用禁止のお触れがだされるそうだ。
一足3万円以上もする靴を選手たちは皆10足以上もかいこんで次々と履き潰していた。ナイキ製の厚底シューズ、ヴェーパー・フライには、カーボンプレートが埋め込まれその反発力で画期的タイムがたたきだされる。
マラソンシューズが最新のカンニングをしたようなものかもしれない。
2008年の北京五輪では水着が問題になった。
高速水着レーザーレーサー、英国スピード社が開発した縫い目のない水着だった。
この水着に人間を入れるには3人の助けを借りなければ身体につけることはできなかった。 以来いくつかの制限事項ができた。水着にはラバー、パネルの使用禁止、使用できるのは繊維に限る。身体を覆う水着の表面積にも制限が加えられた。
パラリンピックのカーボン・プレートによる義足は健常者よりも高性能というので、問題がおきた。
健常者よりも高性能な肢体が開発されたのなら、わざわざパラリンピックは開催する必要がないのではないか。健常者とハンデキャップの間に機械という科学が割り込んだ。もう一度スポーツの原点を見直そうという議論が巻き起こった。
「裸足のアベベ」1960年のローマ五輪ではエチオピアのアベベが2時間15分16秒でマラソンを走り切った。
靴なしの裸足だった。いっそのことそこまで戻って、ピンクのスニーカーも人間の身体より小さい水着もみんな棄てたら、クーペルタンの理想に近ずくことが出来るだろう。
裸足のアベベとピンクのスニーカー
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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