まさか、あのシャノアールが…

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 荒涼たる焼跡にポツン、ポツンとできたのが、喫茶店だった。
 住宅事情が極端にわるく、人々はようやく小さな喫茶店という空間を手にいれた。あの頃の喫茶店は町の社交場であり、仕事の打合せもほとんどが喫茶店だった。
 うんちくをきかされながらネル越しのコーヒーをいただき、ついでに文学論や歴史論もついてきて喫茶店というのは、インテリ夫婦の起業によるビジネスだった。
 寺山修司と初めてあったのは、阿佐ヶ谷の喫茶店だったし、横尾忠則さんとあったのは新宿の武蔵野茶廊だった。一杯のコーヒーでポスターの依頼をし、一杯のコーヒーでポスターを受け取った。
 そのうち300人も入るうたごえ喫茶やレコードを聴かせる名曲喫茶ができ、大型化していった。
 シャノアールは、コーヒーだけでなくパスタやサンドウィッチもあり、ゆっくり時間をつぶせる喫茶チェーンだったが、とうとう倒産してロングリーチグループに買収された。
 昔ながらの町の喫茶店もはじからつぶれていく。
 総務省統計局のデータによれば、1981年のピーク時に15万4630店あった喫茶店は下降の一途を辿り、2016年には6万7198店と半減し、現在では5万店を辛うじて維持している状況ではないかといわれている。
 スタバやドトールなどセルフサービス型のカフェに押されたのは、価格の違いが大きいといわれているが、ライフスタイルの変化により、古い喫茶店にありがちの密閉型の空間より、開放型の空間がこのまれるようになり、なによりも喫茶店でのコミュニケーションがわずらわしくなった現代人の孤独な環境に原因があるように思われる。
 シャノアールがなくなり、セブンイレブンの立飲みが、人生の空白をうめてくれるのだろうか。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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