楽屋見舞・水屋見舞のちかごろ

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雷おこし笑点版.jpg
 初春芝居には楽屋見舞いがつきものだ。
 芸妓衆の温習会なら、お部屋見舞いになる。茶会であれば水屋見舞だ。
 相手は元気でぴんぴんしているが、裏も表もたいへんなお仕事なので「何々見舞い」という名のご挨拶になったのだろう。
 演出という仕事がらお見舞いはいただくことが多い。
 落ち着かない仕事なので、じっくりと食べなければならないものより「食べやすい」ものがいい。
 1人でいただくより、まわりのスタッフと頂く場合が多いので、皆に「分けやすいもの」ものならよりいい。
 スプーンとか、フォークを必要とせず、「手をよごさないで」いただけるものならますます歓迎である。
 つまり、食べやすい・分けやすい・汚さない この三原則こそが最高の楽屋見舞いなのだ。
 大きな人寄せの「初釜」水屋見舞なら人気一番は「特級みかん」、簡単に皮がむけてポンと口に放り込めるのが人気の秘密。小腹がへっても食休みはとれないので、お手伝いに喜ばれるのは、「手毬すし」小ぶりで一口なのがいい。洋食好きには赤とんぼの「一口サンド」、まい泉の「かつサンド」など、おつなの「いなり寿司」もランクイン、木村屋のアンパンという変化球もある。おやつにいいのは、千疋屋のバナナまたはひとくちゼリー等、今年の新人は雷おこしの笑点版、最近の雷おこしは、以外に歯にやさしい。ただしこの差入れは洒落のわかる楽屋に限る。
 いろいろ並べたが、いちばん喜ばれるのは「お包みもの」といわれるキャッシュだ。関西の差入れはこのお包みものが圧倒的に多いが、関東ではお花やケーキになる。やはりライフスタイルの違いか、それとも本音の暮らしか、見たくれの暮らしか、そのへんに人間のサガが覗く。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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