パリの友人から分厚い届け物があった。
今シーズンのオペラ座バスティーユに於ける「蝶々夫人」のプログラムだ。彼女の手紙には、予想とは違った演出だったが、芸術の都パリの寛大さを感じた、とあったので、どんな蝶々夫人かと期待しつつプログラムをひらいた。
全く想像だにしなかった舞台写真が登場した。
蝶々さんは白い直線裁ちの布を唐様式にアレンジした衣裳、カツラはつぶし島田をさらに四角く構成した髪型、侍女たちもみな白い直線裁ちの衣裳にお蔵の形のしろい帽子をかぶせて、カツラいらず、ピンカートンもピークド・ラベルのついた白いロング・コート……マニマルな衣裳デザインにまず驚ろかされた。構成主義的な背景で展開された蝶々夫人は、東京では見られない感動と喜びにみちた作品であったろうと想像できた。
バスティーユにおけるパリ・オペラは、いつも大胆でその前衛性にゆさぶられるが、蝶々夫人もまた新しい解釈につつまれて誕生したことだろう。
昨年の末はパリ中、イエロウベストの波に洗われ、ことしは大規模なストライキが展開されているが、こうしてこの国の人々は自由の権利をえてきたんだと肌でかんじています、と結ばれていたが、いつもシャンゼリゼーのイルミネーションだけに感激して帰ってくる観光客とは違う彼女の手紙に心洗われた。
かってサンジェルマンの大学で年末のパーティを楽しんだこともあったが、キャンドルだけが贅沢にかざられ、それ以外は質素なパーティだった。安いシャンパンで乾杯をし、冷たい鶏肉を齧り、ノイズ付きのレコードで踊り、最後はセーヌの岸辺にパーティ船を見に行って終った、パリの師走を思い出した。
コメント
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
コメントを残す