歌舞伎「風の谷のナウシカ」を見た。
この作品には、壮大なとか、かってないスケールとか、の装飾語がみだれとんでいた。
が観客は漫画の追体験がしたくて新橋演舞場に足を運んでいるわけではない。舞台という様式のなかで、戯曲として完結していなければ困るのだ。
永年温めてきた尾上菊之助さんの情熱は判るのだが、残念ながらスタッフにその力量が欠けていた。
脚本の丹羽圭子と戸部和久がまず第一の犯人、ナウシカも敵対する人々も人間が描けていない、行動だけをおっかけるのは漫画の欠点だが、そのドツボにはまり、目の前のスペクタクルからスペクタクルに眼を奪われ、めくり紙芝居のような浅い作品になっているのだ。
演出のG2も仕事が荒い。下座音楽をコケ脅かしのごとく大音量で乱用し、さらに録音した映画音楽とダブらせるなど、音楽それぞれにたいする認識が滅茶苦茶なのだ。
美術についても各国の環境について特徴ある差異がなければ観客は混乱する。どうしても説明できなければプロセニアムにスーパーを出してもいい。さらに擬人化しているキャラクターと縫いぐるみがゴチャマゼなので、作品が安っぽくなる。
役者衆はそれぞれに努力してつとめているのだが、接着剤になるべき舞台展開や脚本が薄いので、消化不良をおこした新作歌舞伎であった。
菊之助さんは怪我したにもかかわらず、なにごともなかったように舞台を務め、ご苦労様であった。
歌舞伎・風の谷のナウシカ
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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