あのエリカ様が麻薬所持で逮捕された。
テリー伊藤は、日本芸能界の宝だとか、明日の吉永小百合とか、女優として唯一無二の存在だとか、しきりに残念がっていたが、彼女の日頃の行動をみれば、薬物常用者のいかがわしい芸人としてしか存在はなかった。
かの映画クローズド・ノートの完成記者会見に於ける「……別に、……別に、」の態度は、高慢無礼を絵にかいたような思い上り会見だった。
高城剛との結婚でも明治神宮からハワイ、そしてスペインへと、まるで犯罪者の逃避行のごとき様相をていしていた。何年かの休養を挟んでひさしぶりの仕事復帰、映画ヘルタースケルターでの、精神を病み、心身ともに破滅に向かう役柄への傾斜ふりも異常者としかおもえない没入ぶりだったといわれている。
彼女が持っていた「合成麻薬MDMA」は、俗にエクスタシー、バツ、タマと呼ばれ、あちらではゲートウェイ・ドラッグと認識されている入門薬だ。皮膚感覚が極端に鋭敏になるため、性行為時に用いられることが多く、乱用しつづけると精神錯乱、記憶障害を引き起こし、ときに死にいたるという薬物である。興奮作用と幻覚作用を併せ持った陶酔感をえられることから、クラブなどで若者の集団乱用が密かに広がっていると言われ、パーティドラッグの地位を確立していると伝えられる。
いずれにしても薬物使用は精神の軟弱な芸能人に多々みられる病根なのだ。仕事のストレスは誰にでもある。
芸人だけが異常なストレスにまみれて薬物に走るという言訳は、性格破綻者の甘ったれた理屈である。
この薬が伝説になるかもしれない、そう発言するテリーもまた共に刑務所にはいったらいいだろう。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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