16歳の少女を動かしている裏社会

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 「……私たちは大量絶滅の始まりに直面しています。……裏切るなら絶対許さない! 」
 16歳の少女涙と怒りの訴え! 北欧スェーデンのグレタ・トゥーンベリ嬢は英国プリムスの港からヨットに乗ってニューヨークに乗り込んだ。ヨットはソーラー・パネルと水中タービンを供えたCO2の排出をしないレーシング・ヨットだといわれている。
 少女は国連気候行動サミットに登場して、華々しく演説を行った。
 オーストラリアのスコットモリソン首相は出席しなくてよかった。ヒスを起こして地球の終りを絶叫する子供のレクチュアは要らない、と言い捨てている。
 気候のための学校ストライキとか、二酸化炭素排出量の少ないライフスタイルを実践している間は良かったが、行動が世界規模になるとともに彼女の後ろにいる人物・団体が話題にのぼるようになった。
 ひとつは反政府系極左組織アンティファを疑うもの、そしてもうひとつは中国系アメリカ人の工作にのっているというものである。
 グレタ・トゥーンベリが口を極めて責めるのがアメリカで、現在世界一の温室効果ガス生産国の中国についてはひとことも触れない。これはとても不自然なことで背後に控えているのは中国とみずから告白しているようなものだという説がある。
 ヨットに乗った三人の乗員は飛行機で往復しているし、メンテナンスを含めれば莫大な経費が掛かっている。今後のグレタ・トゥーンベリの行動計画をみてもとても16歳の少女の計画とは思えないというのが、その筋の推測である。
 アメリカ大統領選への思惑が、CO2を武器に蠢いて国際政治の暗部が透けて見えるという話なのだ。ヒステリックな少女の演説に素直に反応している日本人はまんまとピエロになっているかもしれない。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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