武蔵小杉タワマン糞尿譚

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武蔵小杉タワマン.jpg
 あの武蔵小杉が汚水にまみれてしまった。おりから水の都ヴェネチアでも異常な高潮におそわれたが、ふたつの浸水を比べてみるとあきらかに印象がことなる。
 武蔵小杉は多摩川の満水で、下水が逆流し武蔵小杉自慢のタワマンが機能不全におちいった。ヴェネチアも下水処理は目の前の海なのだから、条件はおなじようなものだが、サンマルコの広場は臭くない。武蔵小杉は臭かったのだ。
 その上、地下にあった送電施設もやられ、エレベーターは止まり、超高層の住人たちは途方にくれた。いま住みたい街のベストテンに入り、意気軒高だった武蔵小杉は思いもかけぬ災難にまみれた。
 多摩川の河川敷にあったこの街が、急速にタワーマンション街になったのは、鉄道のおかげだつたともいえよう。東急東横線とJR南武線しかなかったところへ、各社の思惑から東横線と目黒線が接続され、さらにJR横須賀線の新駅ができ、湘南新宿ラインもとまるようになり、実に13路線が利用できるところから、急速に郊外都市として伸びてきた。
 中原街道の宿場だった武蔵小杉が、もとは河川敷という地相を忘れてつぎつぎとタワマンを建て、天井川といわれていた多摩川との高低差を甘くみたツケがまわってきた。
 開発業者の群がった証明はタワマンの名前を見ただけでもよく判る。
 パークシティ武蔵小杉ザ・ガーデンタワーズ イースト&ウェスト(53階建て)
 プラウド・タワー武蔵小杉(45階建て)
 エクラス・タワー武蔵小杉(39階建て)
 パークシティ武蔵小杉ザ・グランドウィングタワー(38階建て)
 シティ・タワー武蔵小杉
 リェトコート武蔵小杉ザ・クラッシータワー&イーストタワー(45階建て)
 ザ・コスギタワー(49階建て)
 パークシティ武蔵小杉ミッドスカイタワー(59階建て)
 パークシティ武蔵小杉ステーション・フォレストタワー(49階建て) さらに建築予定5棟
 駅前に突如現れた人口3万人のタワマン街だが、年寄りはまず迷子になる。願わくば下水が多摩川に放流できる設計をお願いしたいし、多摩川の越水があっても停電にならない、エレベーターの動くタワマン街であってほしい。 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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