中国人花嫁に占領された雲場池

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 ひさしぶりに晩秋の紅葉をもとめて、軽井沢町内をうろうろした。
 観光案内の紅葉はまず「雲場の池」なので、日の出後30分ぐらいの木漏れ日を期待して訪れた。すでに3組の花嫁さんが中国からお出ましになり、それぞれカメラマン、スタイリスト、美容師をつけてポーズをなさっているのに驚いた。
 中国の花嫁達の結婚式前の写真に対する情熱には感服のほかない。
 パリ・エッフェル塔のまえでも、モンマルトル・サクレキュールの丘でも、ルーブル宮の中庭でも、とにかく中国の花嫁姿に出会う。
 一様に伝統的中国衣裳ではなく世界標準の貸衣裳風なところが面白い。日本も中国もそれぞれに素晴らしい民族衣装をもちながら、自己のアイデンティティーを失い、白い貸衣裳風を選択しているのが、グローバルとやらの戦略なのだろう。
 若い世代が自国文化への執着を失い、一律に安手のグローバルに向かっているのは、不思議な風景である。
 ところで今年の紅葉は著しく美しくない。いつもならヤマウルシやナナカマドの深紅から始まるのに、そこがとても曖昧なのだ。
 軽井沢ならではのドウダンツツジも赤に鮮やかさがない。すすきの穂もそろって風を受ける風情にかけている。イロハモミジの紅葉もあっという間のできごとで、いつもながらの秋の景色にならずぼろぼろと落葉している。
 枯れ始めた黄葉と中途半端な紅葉と晩秋の落葉松の黄葉が無秩序にみだれている。こんなに美しくない晩秋は初体験だ。
 テレビでは、ついこの間まで適応障害ででてこれなかった雅子皇后が奉祝行事に涙していると、評判をよんでいる。嵐のファンと令和天皇ファンが合体して祝賀御列の儀に感動しているが、これで日本の明日は本当に大丈夫なのか、少しばかり不安である。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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