天然コンブ絶滅の危機

by

in ,

天然昆布.jpg天然昆布.jpg
 北海道の海に危機が迫っている。天然コンブが絶滅状態で、とってもとっても十二分にあったコンブの姿がみえなくなったのだ。
 ついこの間まで漁場は自宅のまえの海といっていたのに、目の前の海からコンブが姿を消したというのだ。コンブが林をなしていた海の底は真っ白になった岩肌がつづき、小型船で遠く知床半島の付け根までいってようやくコンブをみつけるといった悲惨な状態になっている。
 目の前の海はコンブの宝庫、獲りに行く人手がないのでホッてあるといっていたのは、つい十二、三年前のことだったが、いまやコンブ漁師は漁協への借金も返せない、どうしたらいいかと茫然自失している。
 海水温の上昇、集中豪雨、大型台風、地震、津波、そして猛暑と漠然としたこころあたりはあるものの、ちゃんとした説明はつかず、この状態がつづくと北海道のコンブは消失の運命にあると、北大の研究室はいっている。ホタテ、サケに続く北海道の特産品が姿を消す。
 北海道のコンブがなくなるということは、日本料理の崩壊につながる。出汁の食文化でいま世界中のグルメから注目をあびている日本料理の土台を失うことを意味している。カツオとコンブがなくなったら日本料理の職人たちは手足をもがれたも同然といえよう。
 ダシ用の最高級コンブ羅臼昆布も、海底湧水にそだてられてきた利尻昆布も、みな突然に姿をかくしてしまった。
 日本人は結婚、正月、誕生などお目出度い時には、必ずと言っていいほど縁起物として昆布を飾ってきた。命の長からんことを願い、共にヨロコブという民間信仰のシンボルを務めてきたのが、昆布だった。
 その昆布が北の海からきえるのは、日本人の暮らしの明日を予感させて、なんとも暗い気分になる。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ